その家の窓に、いつもおばあさんの姿が見えました。
おばあさんは、窓辺の椅子に腰掛けて、いつも針仕事をしているのでした。
窓から入る太陽の明るさが、目の見えずらくなったおばあさんの針仕事の手元に、調度いい具合なのでした。
空が青く、高く澄んで、風が吹く、午後のことでした。
吹き抜ける風に身を任せたように、空には薄い雲が長く伸びていました。
おばあさんも窓を開けて、かわいた風に当たりながら、いつものように針仕事をしていました。
そこへ、ひとりの若い女が、おばあさんの居る窓辺を訪ねました。
「おばあさん、こんにちは。」
「はい、こんにちは。」と見知らない若い女に、おばあさんも挨拶をしました。
「私は、通りから、いつもここで針仕事をするおばあさんの姿を目にしていました。
その姿が、ゆったりと、いかにも気持ち良さそうなので、いつも羨ましく見ていたのです。」
「あら、あら、そうでしたか。」とおばあさんは答えました。
若い女はつづけました。
「そこで、私も、針仕事を始めてみようと思いたったのです。
針仕事をしたら、きっと、おばあさんのように、ゆったりと、落ち着いた気持ちになれるだろうと思ったので
す。」
おばあさんは、やさしく微笑みました。
それから、すこし間を置いて、若い女は、声の調子を強くして言いました。
「ところが、いざ始めてみたら、落ち着くどころではありません。」
おばあさんは、目を大きくしました。
「ひと針ひと針があまりにも小さくて、いっこうに前に進まないのです。
もどかしくて、気持ちが急くのです。そして、永遠に終わりがなく、縫い続けなければならない気がしてくる
のです。」
おばあさんは、だまって聞いていました。
「刺さなければならない小さな穴が、無数に私を待ち構えていて、それを思うと、恐ろしくなって、手が震える
のです。」
そう言う、若い女の声も少し震えていました。
おばあさんは、やっと、「そうですか。」と静かに答えました。
「どうやら針仕事は、私には向いていないようです。」そう言って、若い女は行ってしまいました。
その晩、おばあさんは、まだ窓辺の椅子に腰掛けていました。
窓の外の茂みからは、虫の音が響き、月が黒い空に白く光っていました。
おばあさんは、もうすっかり身に染みてしまった針仕事のことを想いました。
心を向けて、思うところに針を刺し、思うところから針を出す、おばあさんは、ずっとそれを繰り返してきました。
大きな布を広げても、おばあさんを脅かすものはどこにもありません。
夜の空気がひんやりと窓からしみてきて、おばあさんは、両方の手をひざ掛けの中に包みました。
おばあさんの小さなひと針が繋がってできた古いひざ掛けは、月夜の窓辺で、目には見えない気配のような美しさを漂わせて、おばあさんを幸福な気持ちにさせました。
うっとりとした気持ちでいると、虫の音が、まるで子守唄のように流れてきて、おばあさんは棚の時計に目をやりました。
棚の置き時計の下にも、薄い絹の敷物が、同じく時を刻んでいました。
「ああ、もうこんな時間。」
おばあさんは、重い体を、窓辺の椅子からゆっくりと持ち上げました。
「きっとあなたも同じことですよね。」
白く輝く月に独り言ちて、おばあさんは布団にゆきました。